
琴川集落では、江戸時代には菅笠作りが盛んに行われていたそうです。
菅笠は、北前船により加賀より伝来されたといわれていますが、昔は海流にのって流されてきた人も多かったようで、どのように伝わったのかはさだかではないとのことです。
加賀(富山)に菅笠作りの見学に行ったことがあります。作業工程も似たような部分が多く、加賀から伝わったのは確かなことだと思いました、こちらの人は「えかけ」と言っていた工程があるのですが、富山では「いかけ」と呼んでいました。男鹿の昔の人の言葉は「い」と「え」の区別がつきにくく、いつの間にか「えかけ」になっていたのではないかと思いました。あとは、「のづけ」という工程が琴川では「のぎつけ」と呼ばれたりしていました。
琴川には良質の菅(すげ)が自生し、竹も多く、それらを材料とする菅笠作りがこの集落に定着するのは自然なことだったと思います。綿の栽培が難しかった琴川ではカラムシという草から笠を編むための糸を作り、紙の代わりに笹の葉を使い、山桜の皮を装飾につかいました。
竹枠は、淡竹のしなやかさと弾力を上手く活かしながら作ります。寒い地域なので竹がゆっくり成長する分、淡竹ではありますが身が詰まっていてしっかりとした強度もあります。
また、てっぺんの作り方が特徴的です。なまはげのケラを編むのと同じような編み方で三本の角に仕上げます。なまはげ文化の影響も受けているように感じます。
その土地の素材を活かし、その土地の文化と交わり、琴川独自の菅笠へと変化していったようです。
菅笠作りは、農作業が終わってから、冬の間の副業として行われていました。春になると冬の間に作りためたたくさんの菅笠を担いで近隣の村々へ売りに歩いたそうです。戦後は、農作業の機械化、麦わら帽子の普及につれて需要が減っていきましたが、琴川集落では菅笠づくりの技術がしっかりと受けつがれてきました。
私の祖母の世代が「琴川すげ笠作り伝承同好会」を立ち上げ、伝承活動に積極的に取り組み、平成8年には男鹿市の無形文化財に指定されました。

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